SACO普天間返還合意から満10年を迎えて
 沖縄に関する日米特別行動委員会(SACO)で、普天間飛行場の全面返還が日米両政府で合意された日から本日、満10年が過ぎ11年目を迎えた。

 1996年4月12日、当時の橋本総理大臣とモンデール駐日大使が「今後5乃至7年以内に十分な代替施設が完成し、運用可能になった後、普天間飛行場を返還する」と突然の記者会見で発表したことは、市民のみならず沖縄県民に大きな喜びと期待を与えた。

 SACO普天間返還合意の原点は、宜野湾市民の厳しい爆音被害と危険な住宅地上空の飛行訓練を一日も早くなくし、沖縄県民の基地負担の軽減を図ることであった。しかし、その後数年で飛行回数は1万回増え、1.5倍に著しく増加し、市民は爆音による生活破壊と常に墜落の恐怖の下に苦しんできた。SACO合意の撤去可能な海上ヘリポートは、軍民共用海上基地に変わり、普天間飛行場が返還される目途は10年後の今日も立っていない。

 本市は、返還期限の2003年以来、普天間飛行場返還アクションプログラムを策定し、二度にわたる訪米要請や海外基地見直し委員会への働きかけなどで、住宅地上空での旋回飛行の危険性と騒音被害の激化を訴え、SACO合意に基づく十数年後の辺野古海上への移設返還ではなく、在日米軍再編協議の中での海外分散による2008年までの返還に取り組んできた。

2004年8月のCH53D大型ヘリが沖縄国際大学に墜落、激突・炎上した重大事故は、大学や市民に甚大な被害を与えると同時に普天間飛行場の危険性を改めて示した。これまで幾度となく普天間飛行場の危険性を訴えてきたにも関わらず日米両政府が放置してきた結果の事故であり、これ以上、普天間飛行場を運用してはならないことを証明している。

そのような中、米軍再編協議で普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸移設案が発表された。県民の望む県外移設には程遠く、大変、危惧するところである。また、辺野古崎の美しい自然をコンクリートで覆いつくすべきではないと考える。市としては、普天間飛行場の危険性除去の対策が示されないまま最終合意に向けた再編協議が行われてきていることを懸念している。

 戦後60年間も負担を強いられている沖縄の基地負担を大幅に軽減すべきであり、新たな基地建設や北部への基地の集中化で沖縄の基地機能が強化されることがあってはならないと考える。海兵隊司令部機能のグアム移転同様に実戦部隊も撤退すべきである。

本市の抱える普天間飛行場の危険性は極限状態に達しており、これ以上、普天間飛行場の危険性が放置されることは、断じて容認することができない。昼夜を問わず住宅地上空を飛び交う米軍機の飛行を直ちに中止し、激しい騒音や墜落の危険、恐怖と隣り合わせの生活から市民を解放するよう日米両政府に強く求める。

本市としては、在日米軍再編協議の最終合意のなかで普天間飛行場の返還時期と返還されるまでの危険性除去について明確に示すよう求めると同時に県内移設によらない2008年までの普天間飛行場の早期閉鎖・全面返還の実現に向けて引き続き取り組んでいく。

                                                 2006年4月12日

宜野湾市長 伊波 洋一