米軍ヘリCH-53Dの墜落事故から2年を迎えて
( 市長コメント )
2004年8月13日の午後2時18分に米海兵隊所属CH-53D大型ヘリが市内の沖縄国際大学本館に墜落、激突・炎上する最悪の重大事故から本日で2年を迎えました。
本市として一番恐れていた市街地でのヘリ事故が、これからの沖縄を支える5700名余の学生が学ぶ沖縄国際大学で起き、大学本館は大破し、周辺の住宅地にコンクリート片と部品が飛散し数多くの被害と宜野湾市民に大きなショックと恐怖をあたえました。学生や市民への人身被害がなかったことは奇跡的であり、普天間基地の危険性への最後の警告と受けとめています。
米軍は事故直後から周辺を立入禁止にして日本側の捜査・調査を排除し、事故原因の究明や被害実態の把握に支障をきたし、日本の主権が侵害されたことは日米地位協定の大きな問題であると言わざるを得ません。
宜野湾市議会を含め県内51の市町村議会が住宅地上空での飛行禁止や閉鎖を求める抗議決議を相次いで決議し、県内全体を巻きこんだ普天間飛行場の閉鎖を求める動きになりました。市実行委員会が開催した市民大会には3万人余の市民、県民が参加し、「すべての米軍機の民間地上空での飛行を直ちに中止すること」、「ヘリ基地としての運用を中止すること」「危険極まりない普天間飛行場を早期返還すること」などの6項目を決議しました。
市長に就任した2003年以来、市街地上空で繰り返されている旋回飛行訓練の危険性と騒音被害の激化を日米両政府に訴え、普天間飛行場返還アクションプログラムを策定し普天間基地の海外移転による2008年までの返還に取り組んできましたが、住宅地上空での危険な旋回飛行訓練は昼夜を問わずに実施され、宜野湾市民が被っている日常的な危険性が放置され続けた中での米軍ヘリ墜落事故でした。
事故直後に米軍ヘリ部隊は海外に派遣され、翌2005年3月まで8ヶ月間ヘリの飛ばない静かな日常が続きましたが、部隊の帰還により飛行訓練が昨年4月から徐々に再開され、今年4月には事故前同様の飛行訓練が繰り返され、48件もの不安を訴える騒音苦情が市に寄せられました。毎日のように住宅地上空で繰り返される旋回飛行が市民に大きな苦痛と不安を与えています。
普天間基地を海外に分散移転するよう求めた米軍再編協議では辺野古沿岸部への新たな代替基地建設が日米政府間で合意され、普天間基地の危険性が更に8年間も放置されようとしています。市としては新たな基地建設ではSACO合意の繰り返しになりかねないと懸念しています。
普天間飛行場の危険性は今も極限状態にあり、今日、明日にでも解決すべき問題であり、今後も長期にわたり危険性が放置されることは市民の生命、財産を守る市長として断じて認めることができません。
2004年、2005年の二度の訪米要請行動で明らかになったことは、普天間基地のような住宅地上空での飛行訓練は米国内ではありえません。米軍の空域運用評価基準によれば、頻繁に旋回訓練を繰り返す旋回ルートの下に住宅があってはなりません。さらに、日米地位協定第三条第三項は「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行われなければならない」と規定しています。
沖縄国際大学へのヘリ墜落事故が証明した住宅地上空飛行の危険性をこれ以上続けさせてはなりません。現在、宜野湾市の市街地で繰り返されている米軍機の旋回飛行訓練を日米両政府は直ちに止めさせるべきです。
本市としては、2年前の米軍ヘリ墜落事故を最後の警告と受け止め、昼夜を問わず住宅地上空を飛び交う米軍機の飛行を直ちに中止させ、激しい騒音や墜落の危険、恐怖と隣り合わせの生活から市民を解放し、一日も早い危険性の除去を最優先に行うことを日米両政府に強く求め、県民の多くが願う県内移設ではない海外分散による2008年までの普天間飛行場の閉鎖・全面返還の実現に引き続き取り組んでまいります。
2006年8月13日
宜野湾市長 伊 波 洋 一