友好都市:中国厦門市より

ニイハオ!!\(^0^)/


このページでは宜野湾市海外留学生派遣事業により、海外友好姉妹都市である中国福建省厦門市の鷺江大学へ1年間の留学生活を行っている留学生の留学滞在記を掲載しております。

 

 平成16年度市海外留学生
 氏名:小谷 良太
 留学先:中国厦門市立鷺江大学
 留学期間:H16,9~H17,8(予定)       

厦門市立厦門理工学院の写真

学院構内の写真
 厦門滞在記~4~
 ~厦門の人々と生活~

 中国・厦門で生活し始めて早や10ヶ月。私もそろそろ日本へ帰国する日が近づいてきた。これまでの厦門滞在記は、タイトルである厦門について触れていなかったが、今回は厦門の人々や生活、生活の中から溢れ出す厦門の都市空間について記そうと思う。
 私は厦門に1年近く住んでいるが、これだけ長い間生活していると、生活の基盤は厦門にあり、厦門が故郷のように思えてくることもある。例えば、旅行に行ったときなど、「早く厦門に帰りたい」、「帰って自分のベットで寝たい」、「友達は今何をしているのか、一緒にお酒でものみたいな」など厦門に帰りたがっている自分に気が付く。まさに厦門を第二の故郷と思っていると言うことだろう。たとえ、言語的に生活的に自分の生まれ育った町より不便であっても、そこに生活の基盤があり、今私の帰るところはそこなのだと思い始めると、いつしかそこが故郷になっている。私はこれまで沖縄でずっと生活し続けていたため、このような感情を持ったのも初めてで、素直にうれしいと感じる。そして、このうれしさは私にとって、そこが言語も生活習慣も文化も歴史も違う中国であることに、なおさら感慨深いものがある。
 さて、第二の故郷である厦門の人々は、私のこれまでの印象と経験から言うと、どこか沖縄県民に似ていて、特に肌の色の黒さにそれを感じる。これはもちろん、厦門も位置的に低緯度で日差しが強いためであるのだが、その他、肌の色以外顔の部分については似ているようで似ていない。厦門を含めたミンナン(福建省南部一帯の俗称)の人々の顔の特徴は、丸顔で鼻が低く、眉毛がわりと濃いところにあるだろうか。北京や上海など北の人は、顔は細長で鼻も高く色も白いので、彼らに比べてだいぶ異なっていると言えるだろう。
また、性格についてだが、これは厦門のみならず中国人全般について言えると思うのだが、その特徴は、「自己主張が強い」この一言に尽きるだろう。それは生活に関わる場面において、もっとも顕著に現れる。例えば街中では、「どの品物が良い悪い、これは高い安い」など店の人とよく会話している風景が見受けられる。私は来た当初この会話の風景を目の当たりにして、喧嘩でもしているのだろうかと思うほどであった。今では、中国語も分かるようになり、さほど大したことは言っていないと分かるが、それでも、「そんなに興奮して言わなくてもいいのに」と思うことが多々ある。彼らはまた、街中だけでなく自分の意にそぐわない境遇に置かれたときは、必ず自分の意見を押し通すような、表現、態度をとり自己を主張している。これら「自己主張が強い」と思わせる原因は、性格上の問題だけでなく、中国語にも関係があると思う。中国語は同音から成り立つ言葉が数多いので、声の調子によってその使い分けがある。そのため、少しでも自己主張したいときは、その声の調子をはっきりと明確にしないと、自分の意見が伝わらないため、日本人の私にとって「何もそこまで声を荒げなくても」と思わせるような、口調になるのだろう。さらに中国人特有の口調もある。例えば相手が何を言っているか分からない場合、日本人なら「エッ?」と聞き返すが、中国人は「ハァ?!」といって聞き返す。日本人が聞くと「何で怒っているの?」と思うような聞き返し方であるが、中国人にとってはこれが普通で、別に怒っているわけではない。このように日本人の私にとっては、実際の性格の違いから、また言葉や口調の違いから彼らの性格を「自己主張が強い」と判断している。しかし実際、日本人よりは自己主張が強くて当たり前だとも思う。そう思う理由は、中国は人口が多い。そう考えると一目瞭然だろう。私はこれまで中国をいろいろ旅行したが、本当にどこに行っても人が多いと感じた。特に人ごみでは、臆したものが置いていかれる。そのため自分を強く出さなければならない状態になるのではないだろうか。



 そんな彼らが暮らす厦門という街はどのような都市か。私は1年近く厦門で暮らしはじめて、ようやく厦門という都市とその中で生きている人々の生活ぶりが分かってきた。私が暮らす「思明区」は古い街が大半を占めている。その代表が中山路と思明路付近でそこには高層の建物はわずかで、2,3階建ての住宅がひしめくように建て込んでいる。住宅と住宅の間は、人一人通ることのできる隙間もない。住宅の前面道路は2m程度、狭いところは1m未満で、車の行き来はできない。その道はまるで迷路のようになっていて、一度入り込むと必ず道に迷ってしまう。建物は石材で作られ、開口部が少なく、一見すると閉鎖的だが、この道を歩くと現在の沖縄ではほとんど見られない光景がたくさん見受けられ、生活感が十分に溢れ出している。例えば、建物のほとんどはベランダが設置されていないため、窓の落下防止用の柵に洗濯物が干され、道沿いでは、自分の自宅の前だろうか、籠の中に果物を入れ売っている人や、プラスチックの桶に魚をいれ売っている人もいる。ある所では、そんな人々が10人ぐらい集まって、魚や果物を売っているので市場のような空間に変身することもある。暑い日などは、小さな机と椅子を持ち寄り、お茶を一服しているおじさんやおばさんがあちらこちらに出現する。私はそんな光景を見るたびに、多少不便な生活であることを認識するのだが、その不便な環境の中であるからこそ、建物の外部まで生活感が溢れ出し、誰が見てもそこは彼らの居住地で、本当の意味で「暮らしている」と実感させてくれる。そして、この光景が私に中国を感じさせてくれるし、観光客であるならばそこが一番興味深いと感じる空間であろう。観光業を生業としている沖縄もその辺は見習うべき一つではないかと私は思う。



 さて、前段でも少し述べたが、道沿いに溢れ出す生活感、それが私の好きな空間であり、特に市場のような空間が好きである。私の住む鷺江大学の寮の周り半径200m以内には、私が知っている限りで3つの小さな市場が存在する。小さな市場といっても露天の数は2050ほどあって、朝と夜だけにぎわっている。10人程度が集まって、市場空間をなしているものも含めると数限りない。それほど私が住む一帯には市場空間が多い。私が中国に来て一番驚いたのはこのような空間が多いことで、それまでは中国の人は外食をよくすると思っていた。しかし、そうではないことが市場の数を見てすぐに分かった。また、それと平行して中国の1ヶ月の給料を聞くと納得である。中国人の一般の人の月給は3000(45000)程度、少ない人では1000(15000)程度である。外食は最低でも15(75)3人家族では15(225)。しかし、市場でにんじん1本は5(7)、自宅で食事をした場合、3人家族では10(150)以下であろう。この値段を見るともちろん外食も安いのだが、自宅で食事をした方がもっと安い。私が住む一帯は、それほど裕福でない人々だと考えられるので、自宅で食事をするケースが多く、そのため市場の数も必然的に多くなるのであろう。ところで、厦門最大の市場は私住む寮からは2,3Kmほど離れた場所にある。私はその市場が最も好きで、用もないのに何度か足を運ぶのだが、とにかく大きい。那覇市の平和通り、公設市場一帯程度はあるだろう。それがすべて食材関係ということを考えてもらうと、衣料品店、雑貨屋お土産品店も混在する那覇市より、遥かに大きいことが理解できるかと思う。その市場によく足を運ぶ理由は、毎回違った印象を受けるからである。初めて行ったときはその雰囲気は大体把握できるといった感じだろう。2回目以降は、「こんな食材もあるのか」、「こんな道もあったのか」など具体的な発見がある。大きな市場なので、何回もさまざまな発見があり飽きない。しかし、汚い。1度、市場の道路の清掃がまだ終わっていない明け方にそこを通ったことがあるのだが、5mほどの道幅に、ゴミが落ちていない場所を探すのもやっとなほど、ゴミだらけだった。まさにゴミの上を歩いている、そんな感じがした。そんな市場が最もにぎわうのは特に夕方で、歩くだけでもひと苦労するほどであるが、言葉では言い表せないよなわくわくした気持ちにさせられる。
しかし、思明区も古い街以外では高層マンションが立ち並び、その周辺に市場はなく、大型食料品店しか見当たらない。そこで生活している人は、金銭的に比較的裕福な人々で、都市的なスタイルの生活であろう。厦門はそのような都市的な生活もある一方、沖縄の人にとっては懐かしい、市場での買い物を主にした生活もある。厦門は現在、発展途中の都市で、今後は市場スタイルの買い物は減少していくと予想される。それは私にとって残念なことではあるが、両方の生活が混在する厦門は、開発途中にある現在の中国の都市を描写する典型的な都市ではないだろうか。そんな転換期にある現在の厦門に留学でき、厦門の、現在の中国を肌身で体験できたことを心からうれしく思う。
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更新日:平成26年2月20日