宜野湾市と基地


宜野湾市の位置と地勢



本市は沖縄本島中南部に位置し、北は北谷町、北東は北中城村、東は中城村、南東に西原町、南に浦添市と面しており、西は東シナ海に面しております。
本市は那覇市より北に12Km、沖縄市より南に6Kmの地点に位置しております。また、市内をドーナツ状に国道、県道が通り、さらに沖縄自動車道にもつなぎが容易な沖縄本島の中部及び北部を結ぶ交通上の重要な地点に位置しています。
市の中央部と北部は、米軍基地(約6.375k㎡)となっており、市面積(約19.7k㎡)の約32.4%を占めています。
(市面積および米軍施設の面積は平成25年3月末現在)




基地の成り立ち



宜野湾市に基地が建設されたのは1945年の太平洋戦争までさかのぼります。太平洋戦争末期の1945年4月、米軍は沖縄本島への侵攻を開始しました。日本軍は水際作戦を行わなかったため、現在の読谷村、嘉手納町の周辺から米軍は無血上陸を果たし、その後南北に分かれ進行していきます。
普天間飛行場はその沖縄戦の最中、日本本土への爆撃機の拠点として建設されたのが始まりで、沖縄での組織的戦闘が終了した6月ごろ完成したと言われております。
米軍は飛行場建設にあたり、居住している住民を強制収容所に入れ土地を強制的に接収して建設しました。本市伊佐浜では「銃剣とブルトーザー」と言われるような接収も行われました。しかし、建設後すぐに終戦を迎えたためしばらくの間は使用されず、またフェンスを張られていなかったことから、基地内で田畑を営む住民も多くみられました。



◇戦後、宜野湾市に建設された米軍関連施設


普天間飛行場(約4,806千㎡)

キャンプ瑞慶覧(宜野湾市:約1,569千㎡)

陸軍貯油施設(約1千㎡以下)

●キャンプブーン(約151千㎡、宜野湾市宇地泊)→昭和49年12月10日返還

●キャンプマーシー(約369千㎡、宜野湾市真志喜・宇地泊)→昭和51年3月31日返還

 

※敷地面積は四捨五入により、符合しない場合がある



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