沿 革 ・ 地 勢


   宜野湾間切りは、1671年(寛文11年)に14ヵ村をもって、設立された。古くから宜野湾は自然条件が備わり、1879年(明治12年)の廃藩置県の結果、沖縄県庁の支庁として中頭郡役所が当村普天間に新設され、続いて郡教育部会事務所、県立農事試験場等の官公署が設立されるなど本島中部の政治、経済、教育の中心地として活気を呈していた。

   今次大戦では、当市も壊滅的戦災をこうむったが、野嵩部落が奇跡的に焼失を免れて、本市以南の戦闘地域住民の収容所となり、他の市町村に先んじて終戦処理業務が開始され、1946年(昭和21年)5月1日、行政は再び発足した。

   その後、普天間を中心に都市化の傾向が著しく、人口も3万人を突破し、1962年(昭和37年)7月1日に市制が施行され健康都市「宜野湾市」が誕生した。

   市制施行後、50年を経過した現在、人口は9万人を超え、沖縄国際大学、沖縄コンベンションセンターの立地等、情報センターや人材育成交流センターの建設事業を始め、地域開発も着々と進み、近年、那覇市の外延的な拡大等に伴い急速に市街化が進展しつつある。

   位置は、沖縄本島の中部西海岸にあって、東シナ海に面し、北には北谷町、東には中城村、東北には北中城村、東南に西原町、南に浦添市と接している。那覇より北に12キロメートル、沖縄市より南に6キロメートルの地点にあり、また市内をドーナツ状に国道58号線、330号線、県道30号線、34号線の幹線が通り、沖縄本島の中部および北部を結ぶ交通上の重要な拠点に位置している。

   地勢は、比較的海岸線に出入りが少なく、サンゴ礁が発達して遠浅をなしていたが、公有水面埋立により今はその面影はない。陸地は東西6.4キロメートル、南北が5.3キロメートルのやや長方形をなし、地形は山岳がなく、概して平坦である。

   海岸線は低平坦で、国道58号線以東は台地であり、米軍の飛行場となっている。西原町、中城村に接する東南部は110メートルおよび130メートルの岳が点在している。

   地勢がやや平坦のため、北谷町との境界に普天間川、浦添市との境界に宇地泊川がある。

   地質は、大別して青灰色をなすシルト質粘土(クチャ)島尻層郡と、これを不整合に覆う那覇累層中の石灰岩部層より構成される。部分的には、国頭礫層もみられる。

<< 前のページ

 お問い合わせ

【組織名】 企画部 企画政策課
【連絡先】 098-893-4411(代表)
・企画政策係(内線 401/404)
・事業管理係(内線 405)
・統 計 係(内線 406) 
【窓口】企画政策課:新館2階 庁舎内マップ